沢木耕太郎 著『オリンピア1996 冠〈廃墟の光〉』より。初心、忘れるべからず。

だが、これがこのオリンピックを象徴していたのかもしれない。外見的には華やかだが内実の欠けたオリンピック。それはサマランチの国際オリンピック委員会が、商業主義の権化たるアメリカのテレビ局の前にひれ伏し、オリンピックのすべてをテレビ的にしようとしたことの結果でもある。 現在、あらゆる競技は「テレビ的」で…