沢木耕太郎 著『陶酔と覚醒』より。小学生は陶酔して「する」。教員は覚醒して「みる」。

もしかしたら、「みる」に対する言葉は「みられる」なのかもしれない。しかし、私には「みる」の対語は「する」であるような気がする。そして、その「みる」という動詞を人と結びつけるとするなら、「みる者」と「みられる者」ではなく、「みる者」と「する者」になるのではないかと思うのだ。(沢木耕太郎『陶酔と覚醒』…