応仁の乱・激戦地の大和~大和武士の興亡(5)

1467(応仁元)年5月、御霊合戦で山名宗全によって面目をつぶされた細川勝元はついに反撃を開始して応仁の乱が始まります。 将軍・足利義政は停戦を働きかけますが、宗全と勝元の幕府における主導権争いに、畠山氏、斯波氏の内訌、日明貿易を巡る大内氏と細川氏の対立に果ては将軍継嗣問題も複雑に絡み、大乱は解決の意図…