なぜ家康は「神君伊賀越え」を決断したのか

【読売新聞】POINT ■織田信長の歓待を受けて畿内を見物していた徳川家康は、惟任(明智)光秀の乱(本能寺の変)を受けて早期に三河(愛知県東部)に帰国する決断をした。従者の人数や金銀の備えもあり、早期に帰国した方が危険が少ないという