恋愛の主客のジェンダー非対称性の論理的前提となっている「女性は存在そのものとして価値がある/男性にはそのような価値はない」というジェンダー非対称性についてのあれこれ

ytakahashi0505.hatenablog.com の続き。恋愛においてはなぜか男性が「手を出す」/女性が「手を出される」というように、男性が主体で女性が客体であるかのように表現されるという社会的事実があるということを見てきました。これがどういう意味論をなしているのかを考えます。 ドニ・ド・ルージュモンに見られるように、…